ピカレスク小説集

不定期ですけど、日曜日の午前10時に小説みたいを出しますので宜しくご一読くのほどを!

ラグナロク 3話

地下数千メートルの闇は、あらゆる光と音を飲み込む黒い底なし沼のようだった。 「連日連夜、国家予算レベルの熱量を注ぎ込んでも、この岩盤には傷ひとつつけられない。……まったく、神様ってやつは本当に意地が悪いわ」 ヘルメット越しに聞こえるエレナ・ロストフの声には、科学者特有の狂気的な知的歓喜と、人間としての底知れぬ恐怖が同居していた。 神代 蓮(かみしろ れん)は、無言で彼女の数歩先を進んでいた。背中に背負った組織0(オー)製の大口径戦術刀の柄に手をかけたまま、視線は周囲の闇を油断なく刺し続けている。 ここは南米アマゾン奥地。原生林の遥か地下、数千万年前に形成されたとされる超巨大地下空洞である。地上では樹齢数千年の大樹や獰猛な生態系が自然の王国を築いているが、その足元には人類の既知の歴史を根底から破滅させるほどの「禁忌」が眠っていた。 「蓮、心拍数が上がっているわよ。……まあ、私ほどじゃないでしょうけど」 「静かにしろ、エレナ。空気が変わった」 蓮が足を止めると、エレナも息を呑んで立ち止まった。 彼らが足を踏み入れている地下空洞は、自然の造形では到底あり得ない異様な空間だった。周囲を覆う岩壁には、まるで生物の毛細血管のように脈打つ幾何学模様の光のラインが刻まれている。時折、かすかな青白い光が壁面を伝い、暗闇の中で幻想的かつ不気味に明滅していた。 組織0のエースとして、これまで幾多の死線を潜り抜けてきた蓮の第六感が、けたたましく警鐘を鳴らしている。 先日の自衛隊特殊作戦群10人を相手にした模擬戦など、これに比べれば幼子の戯れに過ぎない。この空間に満ちているのは、単純な敵意や殺気ではない。人類という種族そのものを「虫ケラ」として見下ろすような、絶対的な高次元からの威圧感だった。 「信じられない……」 エレナが携行型のアナライザー(解析端末)を覗き込み、震える指先でホログラム画面を操作する。青白い光が彼女の知的な顔立ちを浮かび上がらせた。 「炭素年代測定は完全に狂っている。この地下空洞を構成している結晶体構造、そして壁面を流れるエネルギー波形……どれをとっても地球上のどの元素表にも当てはまらない。数千万年……いいえ、億の単位かもしれないわ。人類がサルから進化する遥か以前に、こんなテクノロジーが存在していたなんて」 「プロメテウスが過敏になるわけだ」 蓮は吐き捨てるように言った。 世界中の軍隊を統括し、人類の「安全」を監視する超高度AI『プロメテウス』。各国政府の要人どもは、AIの弾き出す予測データに脅え、組織0がこの地に足を踏み入れることを恐れていた。もし、ここに存在するテクノロジーがパワーバランスを崩せば、現行の世界秩序は一瞬で崩壊する。 「AIは賢いからこそ臆病なのよ」エレナが自嘲気味に笑う。「彼らにとって理解不能な未知(ブラックボックス)は、システムを破壊するバグでしかないんだから。でも、私たち組織0にとっては違う。これが世界を握る鍵……あるいは、神を殺すための武器になる」 「余計なことを考えるな。俺たちの任務は、この空間の最深部を特定し、ゼノ元帥にデータを持ち帰ることだ」 「分かってるわよ、堅物さん。……でも、見て」 エレナが差し指した先――空間が不自然に開けた大広間のような場所に、それは鎮座していた。 二人は息を呑み、言葉を失った。 そこにあったのは、巨大な「門(ゲート)」だった。 岩盤と一体化した二本の巨大な柱。その高さは百メートルを超え、表面にはびっしりと解読不能な超古代文字が刻まれている。柱と柱の間には、空間そのものが歪んだかのような黒い渦がゆるやかに回転していた。光すらも吸い込むようなその黒は、まるで異次元への入口のように見えた。 「これは……空間転送門? いや、次元の歪みを固定している構造体……!?」 エレナの目が興奮で血走り、吸い寄せられるように門へと歩み寄る。 「待て、エレナ! 触るな!」 蓮が彼女の肩を掴んで引き戻した瞬間――。 ズズズ……と、地下空洞全体が地鳴りのような振動に見舞われた。 壁面の幾何学模様が一斉に輝きを増し、青白い光から赤黒い光へと変色していく。空間全体に、低周波の羽音が満ちていく。それはまるで、長き眠りから目覚めた巨大な怪物が、不快そうに呼吸を始めたかのような音だった。 『警告:未知のエネルギー波形の上昇を確認。測定不能領域に突入』 エレナのアナライザーが機械的な警告音を鳴らし続ける。 「何が起きた!?」 「私じゃないわ! 触ってない! ……違う、この空間自体が、私たちの『存在』に反応しているのよ! 生体波、あるいは脳波を感知して自動起動(オーバースペック)のシーケンスに入ったんだわ!」 黒い渦の中心から、圧倒的な密度の衝撃波が放たれた。 ドォンッ!! 「くっ……!」 蓮は咄嗟にエレナの身体を抱き寄せ、地面に伏せた。頭上を過ぎ去ったエネルギーの波が、背後の数千トンはあるであろう巨大な岩塊を、まるで熱したナイフでバターを削るように蒸発させた。 音もなく消え去った岩盤の跡を見て、蓮の背筋に冷たい汗が流れる。 防衛兵器の概念すら超えている。これは、存在そのものを消滅させる現象だ。 「蓮、見て! 門の奥……地下の最深部が開いていく!」 エレナが叫ぶ。 歪む空間の向こう側、門の先にある「真の暗闇」が徐々に開かれていく。そこに広がっていたのは、さらに絶望的な規模の超巨大空洞だった。 光を吸い込む黒い空間の中、幾重にも絡み合う謎の金属ケーブや結晶体。それらはまるで、何か「莫大なもの」を繋ぎ止め、封印するための鎖のように見えた。 そして、その超古代の鎖が繋ぎ止めている中心――闇の深淵に、それは「いた」。 「な……に、あれ……」 エレナの声が震え、手にしたアナライザーが音を立てて床に落ちた。 闇の中に浮かび上がったのは、膨大な密度のエネルギーを纏った影。 岩盤に埋もれ、数千万年もの間、沈黙を守り続けていた異形。 それは、人類の歴史の如何なる建造物よりも遥かに巨大で、如何なる兵器よりも不吉なシルエットを描いていた。 見上げるような高さ。いや、「見上げる」という言葉すら生ぬるい。 その存在感は、一個の山脈がそこに座しているかのような圧迫感を二人に与えた。 「体高……五百メートル……?」 エレナが掠れた声で呟く。 「五百メートル……? ロボットだと……? こんなものが、なぜ地球の底に……」 蓮もまた、己の目を疑った。 それは、滑らかな黒銀の装甲に包まれた、人型の巨躯だった。 しかし、人間を模して作られたにしてはあまりにも禍々しく、あまりにも無機質で、美しかった。頭部には目にあたる構造はなく、ただ滑らかな仮面のような装甲が覆っている。胸部の中央には、眠りについた星のように淡く明滅する、巨大な球体状の構造――「核」が存在していた。 ただそこに存在するだけで、周囲の空間と重力が歪むのが目視で分かった。 数千万年の時を経てなお、その機体が放つ微小な漏洩エネルギーだけで、地球上のあらゆる最新兵器を凌駕している。 「これ……が……超古代文明のテクノロジー……」 エレナは膝から崩れ落ちそうになりながら、必死に落ちたアナライザーを拾い上げ、震える手でスキャンを試みた。 しかし、画面に表示されるのは『ERROR』の赤文字だけだった。 あらゆる数値が測定上限を突き抜け、AIプロメテウスが構築した現代物理学の理論フレームワークを完全に破壊している。 「解釈(エラー)できない……。重力場、時空歪曲率、未知の素粒子反応……こんなもの、存在しちゃいけないのよ! これは兵器じゃない……神よ。人間が立ち入っていい領域じゃないのよ!」 「エレナ、落ち着け!」 蓮はエレナの肩を強く掴み、己の意思で彼女の正気を繋ぎ止めた。 「これが『オーパーツ』の正体だ。ゼノ元帥が探し求めていた、世界を裏から支配するための力……いや、世界を破壊する力だ」 蓮は巨躯を見上げた。 500メートルの人型兵器。 もし、この化物が地上に解き放たれたらどうなる? プロメテウスの誇る無人艦隊も、各国の核兵器も、この「神」の前には赤子と同然だろう。 その時、エレナのアナライザーが、狂ったようなアラート音を上げ始めた。 画面に、かろうじて解析できた唯一の波形データがスクロールされる。 「蓮……これ……」 エレナの顔から完全に血の気が引いていた。 「どうした、何が分かった?」 「この機体……生きてるんじゃない。……『休眠』しているだけよ。そして、この波形……どこかで……いいえ、古代の粘土板や口伝に残された『神話』のパターンと合致する……」 エレナは絶望に満ちた目で、巨躯を見つめた。 「これは、ただの機械じゃないわ。かつてこの星に存在した文明を、神の罰として滅ぼした存在……」 言葉が途切れる。 エレナは乾いた唇を開き、恐怖に打ち震えながら、その「悪夢」の名を呼んだ。 「『機神(きしん)』……。これが、古代の神話に刻まれた、機神なんだわ……」 ドクン。 その言葉に応呼するかのように。 500メートルの機神の胸部――あの巨大な「核」が、一瞬だけ、脈打つように紅く輝いた。 地下空洞全体を揺らす、不気味な地鳴り。 それは、これから世界に訪れる「最悪の4時間」の、静かな産声に過ぎなかった。